知ってた?意外と多い、日本へのイスラエル人、トルコ人観光客。背景には、感動的なエピソードがあった。【訪日外国人数ランキング】

1980年代には、東京でも外国人を見かけることは、ちょっと珍しい体験でした。でも今は、本当にあちこちで見かけます。

電車の中でも、レストランでも、東京以外の、すごくローカルな地方の村にさえ、外国からのお客さんが来てくれてます!

しかも、肌の色もさまざまです。昔よりもバラエティーに富んだ方たちが訪れてくれてるのでは、という感触がありますよね。

最近話題なのは中国人の「爆買い」や、オタク文化好きが多いといわれるフランス人などですが、実際に日本に来てくれているのは、どんな国の人達なんでしょう。

日本政府観光局のデータをチェックしてみましたよ!

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2015年 年間 訪日外国人数ランキング ベスト20 発表!!

・・・の前に、せっかくなので、ランキング外ですが、「へえ~、こんな国から結構な人数が来てくれてるんだーー」と、意外だった、そこそこ来日人数が多い国をみてみましょう!

アジアではイスラエルトルコです。あれ、でも謎だったのが、観光局データでは「イスラエル」がアジアに入ってたこと。

「イスラエル」って中東じゃないんですかね~~。あれ、中東ってアジアに入るの??調べてみたら、中東の国は、機関によってアジアに含めたり中東にしたりするみたいです。例えば外務省は中東は中東として単体で扱っているそうな・・・。

閑話休題。

イスラエルからは年間、約2万1千人が来日しました

(なぜか観光局の統計データでは、20位より外は累計が表示されていないので、これは手動で月別数を足しました・・・。

なので、正確な数を知りたい場合は、元データを参照してください。トルコも同様です。)

日本政府観光局

近年は岐阜経由で、京都や金沢に観光するイスラエル人が増えているみたいですよ。

なぜかっていうと、「千畝効果!!」

岐阜県高山市は、戦時中、ナチスから迫害されたユダヤ人の亡命を手助けした、かの有名な外交官、杉原千畝の出身地なんです。

杉原は、1940年、リトアニアの日本領事館で働いていました。当時、リトアニアへはドイツ占領下のポーランドから逃げてきたユダヤ人がたくさんいました。ナチスのいる西方へは逃げられず、トルコ領からパレスチナへ行くルートも断たれ、ユダヤ人たちは、シベリア鉄道で極東に向かうというルートしかなかったのです。

そこで、大勢の老若男女が、日本大使館の前でビザ発給を訴えかけました。

でも、杉原が何度打診しても、日本の本部からは、あらかじめ決められていた小数の人間以外にはビザ発給するな、という返事ばかり。

そこで仕方なく、杉原は「罷免されるかもしれない」と覚悟の上で、本部の許可を取らず、独断で人々にビザを発給し続けました。

番号が付けられているものだけでも約2,139枚ものビザを日夜書き続けていたそうです。

このエピソードは、唐沢寿明主演で2015年、映画にもなりましたね。

トルコからは、約1万6千人。

トルコは親日みたいですね。日本に関する報道もたくさんされていて、一番好きな国は「JAPAN」だと答えてくれる人も多いそうな。

また、2015年末にはトルコと日本合作の映画「海難1890」も公開されました。

この映画の題材は、エルトゥールル号遭難事件。1890年、オスマントルコの軍艦が和歌山県沖で座礁しました。

この時、地元の大島村の人達が懸命に救助や介抱を行って、69人がトルコに生還しました。浴衣やサツマイモ、卵や非常用の鶏なども提供してあげたようです。

そして、なんとこのお返しともいえるような出来事が1985年にありました。

当時サダム・フセインが「今から40時間経ったあとには、どんな飛行機であろうと、民間機・軍用機問わず撃墜する」と無茶な宣言を出しました。

飛行機で脱出するなら40時間以内!っていうことで、各国は自国民救援のため、すぐさま飛行機を派遣したのですが、日本の決断は遅れ、216名の日本人が空港に残されてしまったのでした。

この時、トルコは「恩を返す時が来た」と、トルコの航空機を派遣し、取り残された人達をトルコ領空に救出してくれました

感動的な話ですね・・・。

日本を訪れてくれる背景は、人によっても色々あると思いますが、

歴史的なつながりから、日本に親近感を持ってくれている人も多いのかもしれませんね。

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